お題:ゴルフはフルスイング
皆様、こんにちは。能勢会長よりバトンを受け取りましたANA(全日空)の常木です。月間青島 グリーン砲弾へは、はじめての寄稿させていただきます。
今年、ANAは青島空港就航30周年を迎えることができました。その節目の年の4月に私は大連より着任いたしました。実は15年前の2009年から2012年の4年間も青島支店に駐在していましたので、2回目の青島駐在です。
さて、本題のグリーン砲弾ですが、私がゴルフをはじめたのは、社会人2年目でした。その当時の一つ上の先輩が、某大学の体育会ゴルフ部でキャプテンを務めていた方で、よく練習に連れていって頂きました。その先輩の練習を後ろから眺めていると、すべてのクラブフェースの軌道が全くブレることなく、寸分の狂いもなく構えた位置に戻り、それでいて、ストレート、フェード、ドローなど打ち分ける姿に驚かされました。ただ、先輩曰く、学生時代に大会で競い合った丸山茂樹プロは、7色の球を打ち分けていて、それを目の当たりにしてプロは断念したそうです。そんな先輩ですので、嘸かし上手に教えてくれのかと思いきや、先輩の教えは、「球がある。スイングする。飛ぶ!それだけだ!毎日1000発フルスイングすれば、上達する。細かいことはその次だ!」あとは、「下半身が重要だ!走れ!」でした。私もその当時は素直な後輩でしたので、1000発とまではいきませんでしたが、空港勤務の早番の後、遅番の前、と練習場に通い「フルスイング」を続け、休みの日には、大阪の万博記念公園(外周5キロ)をひたすら走っていました。実はその甲斐あって、翌年のホノルルマラソンでは、初マラソンにも関わらず3時間38分という驚くべきタイムを記録することができました。これが最初で最後のフルマラソンです。
話は戻りますが、私のフルスイングの成果が少しずつ出始めたころ、公私ともに大変お世話になった先輩は東京へ、私は福岡へ転勤となり、先輩からは、“その次”を教えてもらうことができませんでした。その後、先輩とラウンドを一緒する機会があったのは、18年後の小職が二度目の福岡勤務の時、太宰府カントリークラブでした。その当時、仕事柄、ゴルフをする機会が多く、また私もゴルフ歴20年にもなっていましたので、多少なりとも自信をもって、勝負を挑んだのですが、この時に限って?100ヤードを切ってから、ザックリ、シャンクと連発し、先輩からは「色気出して何やってんの?お前は仕事もゴルフもフルスイングしかないだろう!」と中洲での反省会の間中、イジラレまくりました。これ以来、仕事はともかく、ゴルフについては、先輩の教えを忠実に守り、フルスイングをモットーに振り回し続けており、スコアの方は、お陰様で、みなさんに愛されるレベルに留まっています。これは単にセンスがないだけかも知れません。。。。。
しかしながら、今回、このグリーン放談の寄稿を機に、青島駐在中は、マンぶりフルスイングから進化し、コースマネジメント、100ヤード以内、そしてアプローチをテーマに取り組んでみようと心に誓った次第です。そして、2年後くらいには、現在、サンフランシスコ支店長として駐在している先輩を訪ね、勝負を挑みたいと思っていますので、その結果は、また何かしらの機会にお知らせできればと思います。
まだまだ、マンぶりフルスイングの私ですが、ご都合の合う際には、是非、みなさんとご一緒させて頂ければ幸いです。
次回は、前任地大連でもご一緒させて頂きましたMUFG青島支店長 野田大輔さんにバトンをつなぎます。野田支店長 よろしくお願いします!
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