月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
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ふるさと自慢
<愛知県豊橋市>

青島誠誉食品検測有限公司の安藤と申します。
唐突ですが一年の内で、「おでん」が一番売れるのは何月かご存知でしょうか?冬の食べ物のイメージが強いおでんですが、実はこの10月が一年で一番売れる月なのです。真冬よりも寒暖の差が大きくなり、人が肌寒いと感じ始めるこの季節におでんはよく食べられています。なぜおでんの話をしたかと言いますと・・・

豊橋と言えば! 
私の故郷は愛知県豊橋市です。豊橋の名産品として一番有名なのが「ちくわ」です。豊橋出身の方で名産品を聞かれ、ちくわと答えない人はいない!それくらい豊橋を代表する名産品が「ちくわ」なのです。その中でもヤマサちくわが最も有名であり、今回はヤマサちくわOBの私のうんちくにお付き合い頂ければ幸いです。

          豊橋市はここです           ヤマサのちくわ
        
          新幹線も止まります        豊橋の味と言えばコレ!

ちくわの原型は蒲鉾?
ちくわの歴史は今から約1700年前、神功皇后の時代にまでさかのぼります。その当時九州の小倉付近を訪れた神功皇后が魚のすり身を鉾の先に付け、焼いて食べたという伝説があります。この食べ物がガマの穂によく似ていたことから「蒲の穂」「蒲鉾」と転じていったと言われています。現在のちくわは当時「蒲鉾」と呼ばれていたのです。

蒲鉾からちくわへ  
昔は、大名、旗本しか食べられないほど高級品だった蒲鉾も、江戸時代中期以降には、武士、商人、町人へと順次広まっていきました。幕末になると下級武士は貧しくなり、旅先等では蒲鉾が食べられなくなりました。一方、商人は金持ちになり、蒲鉾ばかりか贅沢な食事をするまでになっていました。そんな商人たちを見て、「下級人の分際で、武士の魂である鉾を食べるとは、何ごとぞ」と嫌がらせを言う武士がいたのだそうです。
そこで、庶民は、武士に気兼ねして、蒲鉾と呼ばれていたちくわの切り口が竹の様であるところから、竹輪と書き、武士にはわからない隠語としてちくわと名づけました。いつしかちくわの方が、昔からの正式の呼び名のように定着し、板に付け蒸した板付蒲鉾が蒲鉾と呼ばれるようになったのです。

豊橋ちくわ
吉田宿(豊橋)で魚問屋を営んでいたヤマサちくわの祖先佐藤善作が、四国の金比羅様に代参した時のこと。その地で名物として売られていたのが、ちくわでした。なかなか目新しく、食べてみると味もいい。海産物に恵まれた地である豊橋地方は原料となる魚には事欠かない、善作は帰国するとさっそく製造にとりかかりました。
ちくわの販路は、当時塩を運んでいたルート「塩の道」を使い、魚類が不足している信州にも広げられました。そこで生まれたのが「塩漬けちくわ」です。徒歩か馬で物を運んでいた時代のこと、ちくわを一日でも長く保たせるために、塩を使ったのです。ちくわの穴に塩をつめ、さらに上から塩をふった「塩漬けちくわ」は、豊橋のちくわ発展の源となりました。
          アツアツのおでん         豊橋冬の風物詩「おでんしゃ」
      
        寒くなると食べたくなります    おでん食べながら市内を走り抜けます

豊橋おでん 
日本全国に様々なおでんがある中で、高級素材で作り上げた豊橋のちくわ、練り製品を使ったおでんは、煮込まずに練り製品本来のうまみを楽しむのが豊橋流おでんの食し方。特に練り製品のうまみを最大限に活かした塩味のみの「塩おでん」は絶品です。

おでんは世界へ  
青島の街中で「关东煮」書いてあるお店を見かけます。そう、関東煮です。今では中国各地にある関東煮ですが、日本からは台湾を経由して伝わってきたようです。台湾ではおでんのことを黒輪(台湾語発音でオレン)と呼ばれ屋台では人気の料理です。中国国内ではローソンが店頭販売を始めたことで一気に中国全土に広まったようです。ちなみにおでんと関東煮に違いは、おでん=関東風、関東煮=関西風だそうです。中国の关东煮は完全に中華風ですね。
街で关东煮を見かけた際には豊橋を思い出してもらえたら幸いです。
最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。

愛すべき豊橋ゆるキャラ「トヨッキー」           愛すべきマツケン

全国ゆるキャラコンテスト堂々の137位w          豊橋が誇る世界のマツケンwww

以上

 

 
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