月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
目次

ふるさと自慢

<兵庫県神戸市灘区>

皆様、いつもお世話になっております。日本人会事務局の占部です。

なんで事務局の私がこの記事を書いているかというと、毎月毎月知り合いに寄稿をお願いし続けて来ましたが、ついにそれも尽きたという事情があります。哀れだと思ってくださる方は、次月以降、記事へのご協力を切にお願いします。

さて、そのような内情はさておき、せっかくなので私の育った神戸市の中の灘区についてお話したいと思います。

この記事の題は「ふるさと自慢」ですが、実は私もう日本を離れて17年、今はずいぶん様子が変わってしまっているかもしれません。中国なら17年も経てば、完全に浦島太郎状態でしょうね。よって、ここでは私の記憶の中にある灘区の話をしたいと思います。

灘という名前を聞いて、ほかの地方の方がまず思い浮かべるのは「灘の酒」かもしれません。でも実は酒蔵があるのは海に近い一部の地域で、区の大部分は、山とそのふもとの坂道にある住宅地が占めています。阪神タイガース応援歌で歌われる「六甲おろし」の六甲山の最高峰は北区と東灘区に属しているようですが、山上で人が多く行き来する場所は灘区にあります。

私の育った家から近い摩耶山は、六甲山系の中の標高702メートルの山ですが、展望台である掬星台からの夜景は、眼下にすぐ市街地のネオンが広がりとても見ごたえがあると、私は勝手に思って来ました。今回ネットで調べると、日本三大夜景の一つとされていました(いつの間に・・・)。

また、ここにいたるケーブルカーは日本屈指の急勾配を有しており、山の間から突然姿を見せる街の遠景に驚かされたりします。ケーブルを上がったところにある「旧摩耶観光ホテル」はすでに廃墟になって久しいにもかかわらず、「廃墟の女王」などと呼ばれ、昨年国の登録文化財に指定されたそうです。幼い日に山の下から同ホテルのネオンをながめながら、両親にあそこに泊まりたいとせがんだこともしばしばでしたが、ついにその願いは聞き入れられませんでした。悲しい思い出です。

なんだか、山の自慢になってしまいましたが、実は私は山が大嫌い。山のふもとにすんでいたこともあり、小学校では月1回、中学校では学期に1回、高校ですら年1回の集中登山があり、虫と小動物が大苦手の私にとっては苦行以外の何者でもなかったことを、今思い出しても苦々しく感じております。

ここで市街地の自慢をしなくては思っても、なにせ広大な住宅地を持つ地域ですので、すべて生活に溶け込んだような施設しかありません。普通に動物園とか美術館とかがあるのみです。市街地で思い出すものといえば春に行われる「だんじり祭り」があります。岸和田のように勇壮でもなく、祇園祭りの山鉾のように優雅でもありませんが、地域住民にとってはお囃子を聞くと心が躍ります。私が子供のころは交通妨害になるといって一時期巡行が中止されていましたがその後復活しました。今年はコロナで途絶えた2年間のブランクを埋めるべく大がかりな巡行が3月20日に計画されているようです。大丈夫かな?

今は実家もなく、またあったとしてもこの時期戻ることも難しいふるさとですが、世にいうように遠くにありて思うもの。今は近くにある青島の生活を大事にしていきたいと思います。

さて、冒頭にも述べましたが、皆様のふるさとについてもぜひお話いただきたいと思います。ご寄稿は大歓迎ですし、今後事務局がお声をかけた際には、ぜひご協力をお願いします。

 

 
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