月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
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グリーン放弾
 
 

   皆さんこんにちは!青島田潤食品の平井さんよりバトンを頂きました、みずほ銀行の大塚と申します。ゴルフは社会人になり早々に始めましたが根っからの練習嫌い、ラウンド回数>打ちっ放し回数の私なのでゴルフについて語れるものは何も無く、私とゴルフの馴れ初めをご披露させて頂くことでお許し頂ければと思います。お目汚し失礼致しますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。

   ゴルフを始めたきっかけは社会人2年目の夏、当時の支店長からの一言です。8月のとある日、営業の外回りから帰ったところ支店長に呼ばれ、また何かやらかしたかなと思いつつ駆け付けると、「大塚、デビュー戦が決まったぞ!」の一言。前触れも何も無く突然のことだったので「???」となっていると、「〇〇社の社長と1ヶ月後にゴルフに行く約束をした。デビュー戦だな。しっかり練習しておくように。」と言われ、状況を理解すると共に青ざめました。辛うじて出た言葉が「支店長、私、ゴルフやったこと無いんですが・・・」。副支店長や課長の助け舟を期待したのですが、思いむなしく支店長から「大丈夫だよ。まだ1ヶ月あるし。若いから何とかなるよ。」との言葉が発せられ、初ラウンドが決まりました。

   当然ながらゴルフクラブも持って無かったので、その日の夜、父に相談するとゴルフ好きの父は「週末帰って来い!」と上機嫌。迎えた週末、実家に帰ると大量のゴルフ練習本と年代物のゴルフクラブが用意されており、そこから始まる父のゴルフ講釈は深夜まで続きました。

   翌日、父と2人で練習場へ。父から渡されたクラブからドライバーを手に取り意気揚々とボールを打とうとすると、すぐに待ったの声が掛かり7番アイアンを渡されました。「ドライバーなんて100年早い、先ずはこれで真っ直ぐ飛ばしてみろ。」との父の言葉。そこから始まるグリップの握り方、腕の三角形を崩すな、頭が上がってる、野球打ちだetc、と愛情たっぷりの指導、今思えば大変有難いものですが、当時は「ゴルフって何て窮屈なものなんだ!」と思ったのを覚えています。

   1週間の夏休みも毎日練習場に通い詰め、夏の思い出を共にした7番アイアンだけを頼りに、いよいよ初ラウンド当日を迎えました。9月、晴天の絶好のゴルフ日和、担当先の社長のメンバーコース、今思えば大変贅沢なデビュー戦です。初めてのゴルフコースで右も左も分からない中、支店長に連れられるがままティーグラウンドに向かいました。徐々に高まる緊張、いよいよスタートの順番となり、4番手でティーグラウンドに立ちました。手には苦楽を共にした7番アイアン、練習の成果を信じ何とかなると思いアドレスに入ろうとすると、社長から「男やったらドライバーやろ!」との一言。まごついている私にキャディーさんがドライバーを手渡してくれたのですが、そこで皆さん絶句、私のドライバーは年代物のパーシモン、ドライバーでも今のスプーンぐらいのヘッドの大きさだったのです。さすがに社長も「これやったら変わらんな。好きにしたらえーわ。」とお許し頂き、無事に7番アイアンでラウンドをスタートしました。

   そこから先、ラウンドの記憶は全く覚えていません。ラウンド終了後、手に有ったのは140が記載されているスコアカード、かなりおまけをして貰ったのだと思います。これに気を良くし、ほとんど練習をせずに迎えた次のラウンドでは180以上叩きました。

   あれから19年の年月を経て、何とか100を切ったり切らなかったりのスコアまで上達しましたが、あの夏の情熱を持ち続け、父の愛情たっぷりの指導をしっかりと受け止めていたら、もっと上手くなれていたのでは無いかと思っています。懐かしのパーシモンは封印し、道具だけは一丁前に揃えました。あとは練習あるのみです。「今年こそはしっかり練習しよう。」と何度自分に言い聞かせたことだか・・・。新年好のこのタイミングで改めて誓いたいと思います!

   拙筆に最後までお付き合い頂きましてありがとうございました。次回は郵船ロジスティクスの荒木さんにバトンをお渡しさせて頂きます。

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初ラウンドでは無いですが、当時の支店メンバーとです。

 

 

 


 

 
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