月刊青島--青島日本人会生活文化会発行
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グリーン放弾
 
 

馬場さんからご紹介頂きました、青島田潤食品の平井と申します。
ゴルフに関するネタや知識を披露できるような分際でもなく、やはり自分とゴルフとの関りをお伝えする事くらいしか出来ないので、退屈な内容かとは存じますが何卒ご容赦願います。

私のゴルフ歴ですが、中国の駐在歴と殆ど重なっていると言えます。
社会人となったのが33年前の1989年4月で、ゴルフも会社から言われすぐ始めましたが、以後十年余りは年間4、5ラウンド程度で練習はラウンド前日の一夜漬けのみという状態でした。
実際に頻繁にラウンドし、練習もするようになる本当の「ゴルフ歴」と言えるのは2002年からの青島での海外初駐在以降です。日本よりプレーフィーが激安で、移動時間も短く、車の運転も不要、という気安さに後押しされて、冬場と土日の仕事以外は毎週のように行き出しました。ちょうど会社の取引先でシングルの方がいらっしゃったので短期間ながら初めてゴルフをきちんと教わり、国慶節休暇などで集中して練習にも行くようになりました。結果、日本では十年余りずっと平均130内外だったスコアは110以下が出だし、100切りという目標も見えて、ますますゴルフ欲が高まりました。当時、ソフトボール同好会に入っていたのですが、その頃体力は十分にあったので、春夏期間は午前中ソフトの試合のあと、午後にソフト仲間と青島国際ゴルフ場に集合して2ラウンド、という事も時々やってました。

2005年に3年間の駐在を終え帰国した頃には、すっかり普通の下手の横好きゴルファーとなっておりましたが、日本ではやはりプレーの機会が減り年間10ラウンド程度だったと思います。
6年後の2011年に2度目の中国駐在となり、今度は上海が勤務地となりました。着任早々、積極的に毎週メンバーを募りラウンドをこなしました。冬場もプレー可能ゆえ、上海時代が年間ラウンド数のピークでした(40ラウンド以上?)。数が増えると下手なりにスコアも上昇し、今の自分では想像出来ませんが時々90を切るまでになりました。

上海からの横滑りで2016年から2度目の青島駐在となり、3月でまる6年となりますが、平日は青島の郊外の莱西市に滞在して仕事、週末に青島市内に戻る生活に変わりました。コロナ前は初回の駐在時代同様のペースでゴルフもしておりました。徐々に駐在員のゴルフ&飲み仲間も帰国により減って行き、コロナ以降は日本からの出張来客も無いので平日はビール1滴も飲まない生活に変わり、金曜夜青島に戻ると、どうしてもその反動で「忙しく濃い」週末になりがちです。その影響で土曜日のプレーがやや減ってしまい、また昨年ソフトボール同好会に17年ぶりに加入した事も重なり、この1年はゴルフの機会が少なくなりました。が、なぜか最近ドライバーの飛距離がもう一段伸びて、恐らくソフトの練習で体幹が再強化された、と勝手に思い込んで喜んでおります。ソフト仲間からは、何故バッティングの飛距離自体は全然伸びないのかと言われています。また、ドライバーの飛距離UPに浮かれてマン振り度が増強され、方向性が悪化しスコアが一層崩れるという症状も発生しております。私も今夏には57歳を迎えるので、もうマン振りとか言ってはしゃぐ年齢でもありません。そろそろ今後のゴルフライフを想定して、歳と体力に合ったプレーの仕方を勉強しようかな、プレー中の叫び声やダジャレは少々控えようかな、と漸く思い始めている一方で、もっとソフトの練習をすればもっとドライバー飛距離が出るカモ、と邪念もまだまだ増加している次第です。

以上、纏まりなくつらつらと経歴を書いただけに終わりましたが、改めて振り返ると、私のこれ迄のラウンド回数のほぼ9割が中国でのプレーだと気づきました。これだけ中国でプレーさせて頂いた事に対しては、いつも気軽にお誘いを頂く、各時代の各社駐在員の方々のお陰であり、また、中国駐在の機会を与えてくれた会社にも、感謝すべきと思っております。あとどれだけここで駐在できるかは分かりませんが、その間は引き続き皆様と青島のゴルフ場で楽しむことが出来ればと思っております。

次回は、みずほ銀行の大塚さんにバトンタッチさせて頂きます。

 

 

 


 

 
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